団塊世代のキーワードは”余命20年”

昭和24年を人口のピークとする団塊世代
消費のボリュームゾーンとして、
戦後文化をひっぱってきた世代として
何かと議論の対象にされていますが
世代論や分析はともかくとして、
同じ世代にある私自身の実感から
この世代のアフィリエーションを考えてみます。
私も私の同輩たちも、個人差はありますが
”60”という距離表示は他の年代とは明らかに異なる感慨があるようです。
20歳〜50歳は、”歳”というものを意識はしても
「まあ、こんなもんか」というふうに通過してきました。
それが、60歳はちょっと様子が違うような感じがします。
私が自分自身の実感から考える
団塊世代の理解キーワードは、ズバリ中途半端な時間は、この世代全員に
等しく(そして絶対的に)与えられたもの。
当事者にとって、この”20年”というのは、
老いが加速する時間でもありますし、
そんなに遠くない距離にある死というものに直面している時間でもあります。
(ちょっと、話が暗くなってきましたね)
人によって自覚してるしてないの差はあるでしょうが
余命20年は、この年代に共通する時間感覚としてあると思います。
新しく起業、ボランティア、教育といった社会ゴトに向かう人も
最後まで突っ走ってやろうという元気な人も
趣味、研究、創作といった自分ゴトに勤しむ人も
その行動の根っこは余命20年というものにつながっている。
それを絶対に他人に見せたくない、知られたくないという
自意識(自尊心)だけは人一倍強いというのも、この世代の特徴でしょう。
ですから「豊かな、成熟した、大人の」なんて言われた瞬間に
心を閉ざしてしまう世代なのですね。「歳を重ねるってステキ」
「違いの分かる、あなたに」といった目先の煽て(おだて)にはのらない。
そんな広告やサイトは山ほどありますが、ちょっと目にしただけで、俺とは関係ない、なんですね。
団塊じいさんは、団塊じいさん扱いが嫌い
そろそろ、20年の時間割で設計された商品やマーケティング
出てきてもいいのではないかと思います。